【初代部会長 松岡専一郎】

◆事業部に認知されない青年部が野地署長の一声で誕生

品川法人会青年部が全国に魁け第一号として誕生した。私に、初代青年部長の名が下された。親会を通じて集まった部員は、確か25名と記憶している。創立総会は、小雨降る品川区立勤労福祉会館で華やかに行われたが、五里霧中の一同には、大した手応えはなかった。さて、生まれてはみたものの、青年部は野地署長の親衛隊と陰口を言われていた。隠忍自重。ひたすら研修の明け暮れであった。四面楚歌とはこのことか。青年部活動は、やればやるほど本部事業活動に抵触し、余計なことをするなと言われるのが落ちであった。青年部は自滅する恐れがある。先ず団結。そこで一計を案じたのが一泊旅行、心の交流であった。

◆第一回管外研修会はやぶれ畳に裸電球の安宿

なけなしの自費での宿は、旅行案内で調べた箱根湯本の(木賃宿)であった。一歩踏み込んで驚いた。裸電球に破れ畳。それに飯盛り婆さんが一人。とても宿といえるしろものではない。それでも部員の表情は満足感に溢れ、裸同志の話し合いは夜明け近くまで続いた。真の発会式は、湯本の安宿で挙げられたのである。

◆法人会員750社獲得は青年部の偉業、法人格取得の原動力となる

法人会取得には全法人の過半数以上の会員数が必要である。エネルギーを蓄積していた青年部会決起の時が来た。部員の活動は目をみはるものがあった。役員も黙視できない。第1回社団法人品川法人会総会が八芳園で行われた日。山本会長が私に握手を求め「青年部には辛く当たったが許してくれ」涙を流された。青年部も今日から一人立ち。十分な予算も与えられ、前進を続けていった。

青年部の皆さん。これからも法人会の核となり活動を続けてください。そして限りない前進を。

※青年部会広報誌「縁」青年部会創立30周年特別号より。